今回は、前回の「アイディアを生み出し身体で表現する」の続きを書きたいと思う。

 

●湧いてくるアイディアを身体で表現する

これは、それまでとは全く異なる練習方法であった。
これにより、1966年春より続いていた長く苦しいスランプを脱した。

1969年6718197069m台を3試合で投げる。
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  (写真)1969年ポーランドの大会での表彰、優勝は菅原さん、2位は石田さん

   3位私、この後のストックホルムの大会で67m18の自己記録を投げる。

1971年にはアジア人初の70mを3試合で超え、7114の世界ランク14位まで記録を伸す。さらに、31歳になった1975年の秋から始めた4回転投げで、さらに記録を伸ばしていく。198236歳で7520、そして38歳の1984年には7596の生涯ベストを記録する。あのメキシコ・オリンピックの最終選考会に、「60mも投げられなかった私が」、である。

念願のオリンピックも1972年ミュンヘン大会から連続4大会の代表となり、アジア大会は1970年のバンコク大会から1986年ソウル大会まで5連覇を果たした。
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  (写真)初のオリンピック、ミュンヘン大会は70m88で8位となる。当時はまだ3回転投げであった。
  隣は4位の西ドイツのバイエル選手71m52、4位のバイエル選手から8位の私まで64㎝
  この間に5名がいたことになる。


私は、記録が伸びて行くごとに喜びや幸せ、自信を得ていたのだが、その時に活力も生まれていたことに気付いた。練習では寒くて雪が降り地面が凍る時も、逆に40度近い暑さの中でも、良い投げを求め投げていく。その様な時は寒さや暑さをあまり感じないのである。

振り返ってみると、レベルアップしようとする時、この活力が生まれ、それが大きなエネルギーとなって技術改良に向かわせ、記録を向上させてくれた。そして、この活力が何年も続いたことから、満足できる成果に繋がったのである。

 

●活力を生みだしてくれたもの

 

私のこの活力の源であるが、当時のライバルでもあり、先輩にあたる菅原武男さんや石田義久さんが、私の低迷している間、順調に記録を伸ばしメキシコ・オリンピックに出場し良い成績を残したことにある。

菅原さんは、私の母校日本大学の先輩で七つ年上になる。6978のベスト記録を持ちローマ、東京、メキシコ、ミュンヘン4大会のオリンピックに出場、メキシコ大会では見事4位に入賞した。

石田さんも同じく日本大学の一つ上の先輩であり、7054のベスト記録を持つ。メキシコ、ミュンヘンのオリンピックに出場した。

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  (写真)左から菅原さん、私、石田さん

この二人の先輩達の成果が、「同じ日本人にでき、自分にできないことはない」という心を芽生えさせた。まさしく「臥薪嘗胆」、その心が発奮材料となり大きな活力となった。

その後、世界のハンマー投げの記録が急速に伸びていった時、「同じ人間ができ、自分に出来ないことはない」と、活路を高い投てき技術に見出し活力を生み出した。

 

この活力、私はいかに大事であるかを改めて感じる。それは大きなエネルギーを得るからであって、高めて行く方向性(技術的方向性)さえ正しければ、今まで不可能と思っていたことも実現できるのであるから。

 

そしてこれは、当然私だけのものではなく、多くの人、また多くの分野においても共通するものであると思う。