9月2日から4日まで、全日本インカレは埼玉県熊谷市で行われた。
車の運転が好きな私は、東京・熊谷、往復180㎞程度なので三日間通った。
車に乗っている間は、ラジオや音楽を聴いて楽しんでいる。
熊谷スポーツ文化公園 陸上競技場にて
熊谷の競技場に着く。ここからは主に投てき種目を見る。母校の日本大学や今まで見てきた中京大学の選手に注目するが、他大学選手であっても私なりの技術的視点から見ていく。
そこで気になったのが、投擲種目で一番大切なシーンである「振り切り(フィニッシュ)」が決まっていない選手が男女とも多いことである。振り切りは、爆発のようなもので、そこにすべてを集中させ、力を出し切らなければならない。全身の力を振り切り動作に注いで出し切ることで、投てき物の初速はさらに上がる。
原因は技術的な問題点が多い。技術的なものは大変重要なため、今後のブログでしっかり説明していきたい。
もう一つは、心理面に当たろうか。投てき動作が委縮して、思い切った投げに結びついていない選手が多いことである。特に1投目である。ファウルを意識しすぎているのではないかと思われる。
このファウルには二種類あり、砲丸投、円盤投、ハンマー投のサークルや、やり投の踏切線などから身体が出てしまうもの。もう一つは、投てき物の落下有効エリアを示す両サイドに引かれたラインの外に、投げた投てき物が出てしまうものである。
当然選手は、ファウルしたら記録にならないので慎重に投げようとする。さらにその精神状態で遠くに投げようすると、多くの選手は腕だけで投てき物のコントロールを始める。それが身体全体の動作の硬さとなって表れ、さらに、各々が持っている遠くに飛ばすリズムも失う。これで仮に投擲後に前から出たり、角度34.92度の投擲有効エリアのサイドライン外に投げてしまうようなファウルを免れたとしても、思うような記録は出せない。さらに、ファウルをしないように投げているにもかかわらず、ファウルを誘発させることにもなる。
実はこのようなことを書いている私が、過去にファウルでとても痛い目に合っている。1971年和歌山国体で、投げたハンマーが左サイドラインを割るファウルを3投続け、記録なしに終わった。過去、3投ファウルは、初めてのことであった。その年71m14のアジア記録、日本記録を投げたばかりで、さらに翌年ミュンヘンオリンピックも控えていた。
当時私は3回転投げであったため、サークルをはみ出すファウルは殆どしなかった。問題は、投擲有効エリアの左側サイドラインの外に投げたハンマーが出てしまうものである。母校日本大学の陸上競技場で練習していたため、東京に戻る間、このファウルをしない方法を真剣に考えた。
私が受賞した「総理大臣顕彰」の祝いのパーティーの席上にて
左が私、右が釜本監督
当時、私の恩師である日本大学陸上競技部の釜本文男監督は、ハンマー投でメルボルン・オリンピックに出場された方である。特に、専門の投てき種目に力を入れておられた。このためハンマーを投げることのできるサークルが、競技場のフィールド内の各コーナーに設けてあった。そのうちの一つだけ防護用の囲いがあり、いつもはそこで投げていた。
しかしこのファウルをしない投げをするため、四つのサークルを使い投げた。その投げは、投擲有効エリア内の真ん中を想定し、そこにハンマーが落ちるように投げていくのである。防護用囲いの有る無しにかかわらず、どのサークルでも、頭の中にその方向を刻み込んで投げる。サークルの位置によっては、左に逸れるとトラックにハンマーが落下することも考えられたので、走る選手のいない時を狙って投げた。
1か月程度取り組んだ結果、成果が表れた。ファウルをしない、思い切った投擲ができるようになったのである。その後、試合では1投目にファウルをすることはなく、ある程度の距離を投げられるようになった。こうなると2投目以降の投擲は、すべて自己記録更新を狙って投げていける。
その4年後、30歳を過ぎ4回転投げに切り替えた。1回転増えることで、サークルから足がはみ出する別のファウルを心配したが、そのファウルも、その後の試合で一度もなかった。それどころか、サークルの後方5㎝位から余裕をもって回転を始め、4回転してハンマーを振り切った時の左足は、投擲サークルを10㎝ほど余らせて投げていた。
記録を狙って投げるためには、回転スピードを上げても「絶対にファウルをしない」といった自信が必要なのである。またこのようなことが出来るようになって、初めて高度な技術を獲得できるチャンスが出てくる。
しかし、これらは真剣に取り組むことで出来るのである。この真剣とは、本物の刀剣による果し合いのようなもので、命がけで行うものである。競技で命を落とすことはないからといって、適当になってしまっては何時までたっても修得はできない。心の持ち方一つである。
今回のインカレを見ても、今後のオリンピックや世界選手権に出場可能な投てき選手はいる。しかしこのままでは難しい。
競技者として高まりたいならば、自身の持つ課題に真剣に取り組み、心・技・体のすべてを1段も2段も引き上げていくことである。